よっちゃん『こころの授業』vol.1
もしも、みなさんご自身や、みなさんの身近な方がある日突然認知症になったら、そのときみなさんは一体何を思うでしょうか。
日々記憶を失っていく不安や、いつか大切な家族のことも分からなくなってしまうのではないかという恐怖。大好きな家族に、忘れられてしまう寂しさ。
「当たり前の日常」はいつか終わりが来ます。その「いつか」が現実のものとなったとき、私たちは何ができるでしょうか。
介護福祉士養成校の教員として働くかたわら、小学生から高校生まで、毎年10,000人以上の子どもたちに介護の魅力を伝える活動を続ける「よっちゃん」の授業。第2弾は「こころの授業①」です。
「介護のプロ」は「人の心をつかむプロ」
1時間目、2時間目の体験授業を終えた子どもたち。
体育館から教室に移動して、3時間目と4時間目は2コマ続けて「こころの授業」の時間。
「よっちゃん、人が好きなんよ。人が好きだから、寝たきりの人も、認知症の人も、みーんな好きなんよ」そう言ってよっちゃんは、これまでに出会ったおじいちゃんおばあちゃんとの思い出を話し始める。
お花が大好きなおばあちゃんに、一面に咲き誇るアジサイを見せてあげたくて、おばあちゃんをおんぶして一緒に散歩した話。
「手が動かないんだったら、手が動く人が手になれば良いし、足が動かないんだったら、その人の足になれば良い。覚えられないんだったら、代わりに覚えてあげれば良いじゃん。たったそれだけのことでしょう?」
なかなか簡単にはできないことだけど、よっちゃんはさも当然といった感じでサラリと言う。あまりに自然に言うから、子どもたちも「うん、うん」と引き込まれていく。
よっちゃんは「介護のプロ」だけど、それと同じくらい「人の心をつかむプロ」だと思う。よっちゃんに言われると、子どもたちも、先生も、私たちも、教室にいるみんな「よっちゃんの言う通り」と思えてしまう。
よっちゃんはおじいちゃんおばあちゃんとの思い出を鮮明に記憶している。
心と心を通わせ、一生懸命利用者と向き合ってきた証拠だ。
魔法使いみたいな仕事
昔はとっても優しかったのに、認知症のせいでおばあちゃん(奥さん)に暴力をふるうようになってしまったおじいちゃん。
見かねた息子に家を追い出され、老人ホームに入れられてしまう。
施設に入れられたおじいちゃんは、いつも眉間にしわを寄せてテーブルを叩きながら、大声をあげて怒っていた。
そんなおじいちゃんにも、よっちゃんは「おじいちゃんごめんね、しんどいよね、ごめんなさい」と謝りながら歩み寄っていく。
悪いのはおじいちゃんではなく、認知症だということが分かっているから。
「おじいちゃんは何も悪くないのに、なりたくて乱暴になってるわけじゃないのに、認知症のせいで叩いてしまうようになっただけなのに、それでおじいちゃんが悪者扱いされるなんて、おかしくない?」
「心を持って関わったら、認知症の人でもどんな人でも、心って届くんだよ」介護現場での経験から、たとえ相手が認知症であっても、よっちゃんは関わることを決して諦めない。
よっちゃんの心を込めた関わりに、徐々に心を開いていくおじいちゃん。「家に帰らしてくれや~」と必死によっちゃんに頼む。
自分の家に帰りたい。そんな当たり前の願いも、家を追い出されて施設に入れられたおじいちゃんには叶わない。
「家に帰ってせにゃいけんことがあるんですか?」とよっちゃんの問いかけにおじいちゃんは「息子がもうすぐ学校から帰ってくるから、風呂に入れてあげないといけない」と答える。
認知症のおじいちゃんの中で、息子は10歳のまま時が止まっているのだ。
家族のために、一生懸命仕事一筋で生きてきたおじいちゃん。唯一の楽しみは家に帰って息子と一緒にお風呂に入ることだった。
家に帰りたいのは、息子が帰ってくるまでに、風呂を沸かしておかなければいけないから。
おじいちゃんの想いを理解したよっちゃんは、おじいちゃんにある提案をする。「おじいちゃん、家に帰してあげたいけどすぐは無理じゃけ、まずはよっちゃんとお風呂に入ろう」
よっちゃんがおじいちゃんの頭と背中を洗ってあげると「よし、交代!」と元気なおじいちゃんの声。きっと家でもそうやって息子さんとお風呂に入っていたのだろう。
よっちゃんも裸。おじいちゃんも裸。二人でお互いの頭と背中を流し合う。
一緒にお風呂に入っているときのおじいちゃんは、施設で怒ってばかりいる姿からは想像できないほど優しくて、笑顔が素敵なおじいちゃんだった。
「薬も出せないし手術もしない。だけど、本当に笑わなくなった人を笑顔にできる。そういう魔法使いみたいな仕事が、介護の仕事だとよっちゃんは思う」
そう言って笑うよっちゃんを見て、本当に介護の仕事に誇りを持っているのだと思った。
(こころの授業②に続きます)